2018/07/21 21:39

文字を書き、絵を描く「紙」。1900年前・後漢の中国で確立。



「紙」の作り方は、1400年前・聖徳太子の時代に、朝鮮を通って日本へ伝わる。


自然豊かな日本では、あさ・こうぞ・かじのき・がんび等色々な植物を試し、強く丈夫な「日本紙(和紙)」を発明し、

書いたり描いたりする他に、ふすま・障子紙などにも使われた。


1000年前・平安時代には、日本各地へ広がり、和紙が都へ納められた。



この頃、ふくよかで清らかな優れた紙、「みちのく紙」が、『枕草子』や『源氏物語』の文中にも登場する。



紙漉きに必要な、綺麗な水や天候にすぐれた みちのく 刈田郡白石地方は当初から、紙の名産地であった。





400年前、戦国  豊臣秀吉の時代、伊達政宗は、旧領の米沢より 今の宮城県に移り、紙漉き職人も移住、

すぐれた紙漉き技術を伝えた。




さらに各地から…「越前奉書」の福井県、「土佐紙」の高知県、


紙漉き職人が白石へ移住。各地の優れた技術を伝えた。




白石地方の紙漉き職人は、様々な技術を学び 研究し、丈夫で上質な 「白石和紙」を生み出した。





その白石和紙を素材として紙衣(かみこ)や 紙布織(しふおり)という、紙の着物も作られた。





伊達政宗は、生活の糧として仙台領内に、くわ・うるし・こうぞの植樹を命じ、


「こうぞ」の生産を増やし、それを原料にした和紙も増産し日本各地へ流通していく。




白石地方でも、紙原料の「こうぞ」、品質の優れた白石和紙や紙衣が、


生糸や温麺と共に白石城を領する片倉家1万8千石の財政を支え、「白石三白」と呼ばれた。




江戸時代に白石地方に300軒あった紙漉き農家だが、


明治期に洋紙が輸入、国内においても洋紙が製造されるようになり和紙の需要は減った。




昭和になると、古紙にパルプを混ぜた「改良和紙」が盛んに作られたために和紙は低品質になり、廃れていく。



白石地方でも、多くの人たちが紙漉きを廃業。




伝来の手漉き和紙製造に誇りを持ち、一部の者だけが、純楮の紙漉きを続けていく。





昭和47年、小原に2軒、鷹巣の遠藤家、白石和紙工房1軒だけに。




昭和6年、8代続く、紙漉き農家の遠藤家で、遠藤忠雄氏は18歳から紙漉きを始めた。

地元の伝統の「純正こうぞ和紙」こそが白石和紙であると志し、



ベテラン職人から熟練の技を学び、伝えられてきた紙漉法を研究。



古紙見本に残る紙を創意し、200種類もの質の高い和紙を漉くようになった。



忠雄さんの和紙を愛好した、日本画家 川合玉堂は、その和紙を「蔵王紙」と命名。






佐藤忠太郎、片倉信光 、両氏と共に紙布織や紙衣の研究に取り組み、

高品質な紙布織の復元に成功。




佐藤忠太郎氏は、紙衣の研究から拓本染め紙子の技法を確立し、



現在も、佐藤紙子工房・きちみ紙子工房が、名刺入れや財布などを作り続けている。



忠雄氏の和紙は品質が高く、松島瑞巌寺、中尊寺の写経用紙、法隆寺の国宝台帳など,


各地の国宝修理にも使われる。



第2次大戦中の昭和18年(1943)宮内省へ納めた重要書類用紙が、



2年後の終戦時、戦艦ミズーリでの降伏文書に使われたと言われている。



昭和50年(1975)から、東大寺の「お水取り」の紙衣を納めていた。




他にも、デザイナー三宅一生が紙衣を使い世界的に注目される。



昭和57年(1982)に宮城県知事指定「伝統的工芸品」に指定。


平成9年(1997)に遠藤忠雄氏は逝去。   






その後も、白石和紙工房では、



妻の遠藤まし子さん、白石和紙を支えてきた職人によって、白石和紙工房の紙漉きが続けられた。




遠藤忠雄氏の教えをよく守り「白石和紙」伝統の紙漉きを守り続けた。



TOKIOの「DASH村」に、遠藤まし子さんが「和紙漉き名人」として出演、指導。



「ミラノ万博」日本館に、白石和紙を提供。




それでも、白石和紙工房では紙漉き職人達の高齢化により、





平成27年(2015)年の5月。白石和紙の製造を終了。









白石の市民グループ「蔵富人」は、地元の素材「白石和紙」の良さを多くの方に触れて 知って欲しいと、


平成15年(2003)から、「白石和紙あかりワークショップ」「白石和紙あかり展示会」を毎年開き、のべ800人を超える多くの方が参加。



さらに、白石和紙工房の協力のもと、平成16年(2004)より、白石伝来の「とらふの楮」の栽培も手掛け、




蔵富人が育てた白石産楮の和紙で「白石和紙あかり ワークショップ」を開催。




平成18年(2006)、「白石和紙の茶室」を製作、


東北電力「宮城の和紙とあかり展」に出展。



和紙の茶室は、白石蔵王駅構内に今も展示されている。




平成27年(2015)、地元の風習「だんべあげ」を実施。


空高く「和紙の熱気球」が舞上がった。




白石和紙工房が白石和紙の製造を終了した 平成27年(2015)年春まし子さんたちの指導を受けて、「白石和紙」の紙漉きを開始。


白石和紙工房のあとを引き継ぎ、白石市内、全中学生の卒業証書用紙を漉いている。


白石市立南中学校では、「卒業証書用紙制作体験」を指導。


校地内で楮・トロロアオイも栽培し、一連の作業を体験して、自らの卒業証書になる紙を漉いている。 


平成28年(2016)10月、

リオオリンピック金メダリストのタカマツペアに贈られた、


「宮城県民栄誉賞」の表彰状用紙製作。




平成29年(2017)10月、

ローラーペイントアーティストのさとうたけし氏の


LIVE PAINT「EAT ART in 宮城」に「白石和紙」を提供。当日のメニューがペイントされ、

参加者へのノベルティーに。



同年11月、

白石和紙に惚れこみ、白石に工房を構えた木版画家 阿部笙子さんの

「白石和紙 木版画展」に協力。


蔵富人の「白石和紙」の葉書を版画の絵手紙に使われている。


他にも


・全国高校総合文化祭「みやぎ総文2017」記念しおり


・「全国削ろう会 蔵王大会」鉋薄削り大会表彰状用紙


・「白石城下きものまつり」表彰状用紙


今でも多くの方に、蔵富人の白石和紙が使われ、伝統の「白石和紙」に触れてもらうことができる。



「地元白石産の原料だけを使い、白石に伝わる作業をその通りに紙を漉くのが、白石和紙」


遠藤まし子さんに教わった通りに、今も、白石の和紙漉きは続いている。