2018/07/21 22:10
蔵王山に初雪が降り、山すその白石地方は田畑の刈り取りも終わった後、冬至がすぎると紙漉き農家は忙しくなります。宮城県の南端・白石市を中心とする七ケ宿町、蔵王町の1市2町は旧刈田郡に属し、江戸時代には、伊達政宗の領地でした。そのうち1万8千石を家臣・片倉小十郎が所領していました。
ここは東北地方のノドのような地形で、国境を守るため多くの家臣を抱えていた上、山の多い場所で田んぼが少なく、また奥州街道と羽州街道の本街道が2本貫通し、奥州9、羽州13の大名が参勤交代のため1年ごとに通行し、荷物の搬送に多くの人馬を要するところでした。そのため、「裸で茨(いばら)を背負うか、鉈で頭を剃るか、刈田で百姓をするか」という言葉があるほど、侍も農民も苦しかったのです。ここに多くの物産が生み出される要因がありました。
江戸時代には、温麺(うーめん)、葛粉、生糸、和紙、紙布、紙衣、紅花などの産物があり、特に温麺、和紙、葛粉は「白石三白」と言われて、品質の優秀さは全国に知られていました。白石和紙は、和紙そのものの良さで有名でしたが、その和紙を使った衣類、つまり紙衣(かみごろも)や紙子(かみこ)と呼ばれる加工品や、和紙を糸にして織り上げる紙布織りといった、独特の紙文化を発展させました。
現在、生産額はわずかですが「ふくよかに、きよく、うるわしい」みちのく紙の伝統はそのままに、漉き続けられています。丈夫でふくよかな白石和紙は、版木にのせて模様を打ち出し、柿しぶ、くるみなどの天然染料で染色され、札入れ、名刺入れ、ハンドバックなどに加工されています。